しらなかったよバレンタイン

私が中学一年生のとき(アポロ計画が進められていた時期でしたね) 休み時間にポーツとしていたら ある女子生徒が寄ってきて「ねえ,あした何の日かわかる?」「きょうは2月13日で建国記念日は過ぎたからンー知らないなあ。」「じゃああしたまで調べてきて。」「うん」・・・  もう私の頭から“しらべる”などのことばは飛んでいました。 翌日, 件の女子が「わかった・・?」ときいてきたので「ううんわかんなかった。」とあっさり答えたところ 「あっそう・・・。」でそれっきり。(なーんだやっぱり大したことないじゃん) そのときのやりとりは私の頭のすみっこに追いやられていたのです。   そして2月も終わりに近づいてきたある日の英語の授業で 「来週 新しくLESSON18に入るから予習暗記しておくように! いいね。」と先生からいつものように言われたので家で少しずつ取り組んでみました。  そのLESSONはRoy’s Diaryというタイトルでロイという少年が毎日の出来事について自分の思ったこと感じたことを日記につづっているコーナーです。単語を調べながら読み進めてみると§2か3あたりで Saturday,Feb 14  Cloudy       Today was St.Valentine’s Day.で始まり  姉のJaneが見せてくれたフランスの文通友達からの  A Valentine from Me toYouと印刷されていたカードには手書きで Dear Jane,   Will you be my Valentine?    Lou   というメッセージがあってうれしそうに微笑んでいたというような内容でした。教科書巻末のWORDS AND PHRASESには  Valentine㈴聖バレンタインの日に選ばれる恋人;St.   Valentine’s  Day(2月14日聖バレンタインの祝日)と簡単な説明があったと思います。フーンそういう催しというか風習があんのかなどど感心して翌週の英語の授業では先生がおよその説明をしてくれたみたいでしたがその時はうわの空「ああそーゆーことだったのかあああああー!」ほぼ2週間の時間差で自分の鈍さに気づいた瞬間でした。(遅すぎ)

2019.2月13日(水)

 

無題

先日 新聞に哲学者の梅原猛さんが亡くなられたとの記事が載りました。ある方が持っておられた昭和の終わりごろの日本経済新聞のコラムに梅原氏が寄稿しておられたので・・・その一部はこんな内容でした,

(はじめのほうで孔子 釈迦 イエスなどの諸聖人にふれ後半で)私は,永年,いろいろな人間と会ってきたが確かに日本人は,善においても悪においても,知においても,エネルギーにおいてもどこかつつましいところがあったと思う。つまり日本人にはそう賢い人間も,そう愚かな人間もなく,そう良い人間も,そう悪い人間もない,政治家も,実業家も,学者も,適当に賢いが,傑出した輩がいない,と思っていたが,最近は少し考え方を変えた。というのは善において,知においてそうえらい人間はないが,痴において愚においてかなりすごい人間が出始めたのではないかと私は思う。 よくこんな悪い奴がと思う人間があり,そういう人間が結構のさばる社会に日本もやっとなったのではないかと思うことがある。人間がますます悪くなり,途方もないような悪人が日本の社会のいろいろな分野に活躍するようになった時,やっと聖人は出現するにちがいないと思われるが,その時期は案外早いのではないかと私は思う。(哲学者)・・・と。

高校生時代の‘倫理社会’の授業で先生が 「図書室から借りてきました。」と言ってデカルトの『方法序説』をかわるがわる読まされた時には生徒全員チンプンカンプンで (哲学者というものはその天才的な頭で言葉を駆使して論理の冒険のようなことをする人種だな)などと若い時分には思っていましたが こういう冷静な頭脳と温かい心を共に持ち合わせている人もおられるのかなと思うときがあります。

 

そうですねえ でもそういう方が世の中にあらわれても どこから見ても普通のおっちゃんにしか見えないでしょうね,見かけは市井のただの人,子供たちがワーッと喜ぶアニメや映画のスーパーヒーローじゃないのですから。私が小6の時のクリスマス間近の社会の時間に担任の先生から「イエスという人が自分たちの生活の苦しいのを助けてくれるんだ,とみんなは思っちゃったみたいだね。」と聞いたことがあります。我々大衆に受ける話をするために出現されるわけではないし 出会えても見極めることができればいいのですけど やはり“縁” ということになるのでしょうか。私には深くて難しい問題です。

2019.01.⒛

受験生の皆さん

受験生の皆さん 年末正月関係なしに受験のことが気になってどうしようもなかったことと思います。そうでもなかったですか?試験が近づくといろんなことがしたくなりますね,ふだん見向きもしなかった小説を読んだりいろいろ片づけをしたり 手紙を書いたり 思索にふけったり それで心の安定を図るのですからそればっかりにならなければよいと思います。入試から目を離せなくなる時期は今まで心に押し込めてきたものが顔を出す時期でもあります。気持ちの整理がついてからではなくすぐにでも“自然体”になりましょう。(ゆったりしたり やりたくないものはやらなくてもいい 気が向いた時にやればよい)とほとんどの方がそういうふうに考えるでしょうけれど 目標をもっているときの“自然体”とはそうではなく【前進しかできない】ことを言います。ときどき塾の生徒さん方にはそのように言うことはあります。以前書いた「姿勢」につながると思います。先の方につらいことがあってもそうしてみた方が楽だから。【やる気が起こる前に動け。】 です。

去年の今頃 中三生に,「Don’t  sigh.」とボードに書いて「発音してみて。」「ドウント サイ」 「もっと速く。」「ドントサイ!」 「どうですか皆さんわかったでしょう。 これがどんと祭のコンセプトなんですねー。」「・・・。」 みんな (またオヤジギャグかよ 百万分の一秒でも感心して損した) とばかり(はあーッ)と‘ため息’をついていました。

2019.1.10.

 

 

尊敬する人いないから?

テレビのバラエティー番組で女子高生たちがお笑い芸人たちに今どきの流行り 自分らの好み 世の中に対する批判 不満などをぶちまけて進行役の芸人・タレントの女性とやり取りをする場面を見たことがあります。その中でひとりの高校生が,「なんで敬語なんて使わなきゃいけないの!?いっこ上の先輩にも一歳上というだけで敬語使うの?大人だってさあ尊敬できる人なんていないのに敬語使うなんて納得できないよ!」・・・という旨のことを言っていたように覚えています。 幼児や小学校低学年の子供だったらそのままの方がかわいらしく生き生きしていると思います。でも少しでもその人の存在が世の中から見て大人の仲間に近づいた頃となれば【敬語】は[これから接していく相手の領域の踏みこむときの] “わきまえ” として心得ていておられたほうが便利ということではなく世の中が広がって感じられるかもしれません。

2018.12.29.

 

 

 

もうすぐクリスマスなのにねえ

卒業生のお母さんから最近南光台中学校で “いじめ” が起こっている,いじめ事件をを起こして平気でいる “やから” がいるという話を聞きました(教師に対してはすごくいい生徒で成績優秀で教師の目をすり抜けてやらかしている)。いまや(昔から)日本全国,世界中で珍しくなくなっている人間の意識の底に関わってくる根の深い問題です。被害を受けている子は言い出せないでぐっと胸にしまい込んでしまう。そして心の中で我慢の限界という本人の[閾値]を越えた時に初めて周りの人にやっと訴えることができる。心の叫びはどんどん出していって欲しいのですが,自らの命を絶たなければわかってもらえない 悲しくてつらい 極限の事態だけは避けて欲しいと願うばかりです。「あなたは悪くない,常に自分を肯定することを忘れないで下さい。」と言いたい。教師はよほど自分のセンサーを磨き普通の人間に立ち返ろうとしなければ発見や救助は難しいでしょう(公務員の事務処理の一環としていじめ調査を終えてしまう限りは)。いじめられる本人に責任は全くのゼロパーセントです。一言が言いかえせないないからダメなのだよ,といっていじめを合理化する者は自分の心の中の醜いものをそのひとに投げつけているのですから痴れ者が偉そうに言うな,ということになりますよね。   いじめられる人はそういうつらい目に遭っても相手の存在をできるだけ尊重しようとするから心のエネルギーはたくさんもっているのだけれども気遣いや遠慮があってストレートに力を伝えられないから表面上は押された形になる。攻撃してくる者はそういう心を配ることもないからブレーキが故障した自動車のように突っ走ることができ一見強そうに見える,でも実は劣等感のかたまり。・・・15年ほど前の塾生で八乙女中学校に通っていた生徒が,「クラスに意地悪なやつがいていつも僕に嫌なことをしてくる強くて言い返すこともできない,こっちが弱すぎるのかなあ。」という嘆きにこんな趣旨のことを答えたことがあります。

周りの生徒も見て知らんぷりを決め込まないで欲しいです。関係ないとは絶対に言えません責任は大きいですよ。

つづきはいつか。冬期講習のお申込み・お問い合わせ受け付け中。

2018.12.16.

 

 

冬期講習

今年も冬期講習会の時期がやってきました。毎年講習会に限らず平常授業でもそうですが 生徒が「わからない事柄を調べたくてもなかなか説明を見つけられない,難しい問題に取り組んでみたけれど切り口がワカラナイ。」などの真剣に取り組んでみたがゆえの質問にこちらがヒントを与えて その後自分で答えが出せた時の表情のあかるさを見るのはとても楽しいことです。

 

講習期間⁀:冬休み期間の 午前9時から午後8時(12月30日から1月2日までは休講)  ただし早めに申し込まれた方(初回)は冬休みを前に自主勉強としてプレ講習(準備のため)を個別に行います。

中三   受講料の例(完全個人指導) 科目自由

90分×5回 21000円  90分×6回 23800円  90分×7回 27000円

120分×5回 26000円  120分×6回 30000円  120分×7回 33600円

※お友達といっしょに複数で個別指導を受けたい場合は減額いたします。

小学生~中2(初回)   100分×5回 10000円 (科目自由 時間数の調整可)

※受講後 自主勉強で教室に残って勉強していくことは自由です。保護者様におかれましては入塾に関係なく教育相談をいつでも行っております。お気軽においでください。かならずお役に立てることと思います。

学習館大越  ☎022-252-5193  南光台南3-32-3

2018.12.8.

 

やっぱり

近所のおじさんのはなしー

昨日 鶴ヶ谷から燕沢方面にかけて車を運転していたらゆるい坂道にさしかかった辺りで2,30メートル前方から小学校低学年と思しき三人が車道を横並びで歩いて来るのを確認した。それで最徐行をして子供らが歩道に移るのを待った。 ところが連中はそのまま車のほうに真っ直ぐに向かってくるので車を停止させ様子を見た。すると真ん中の女子がスマホを操作して両側の男子女子が画面を見て三人とも下を向いたまま車の前方2メートルまで近づいてきたのっしゃ。男の子がはっと気が付いて二人をうながして歩道に移動したので俺は,「歩きスマホ危ないよ,危ないよ!」と強く言うと男の子だけが「はい」と返事をして後の二人は黙ってこっちを見ていた。後で学校に連絡してやんねばな・・・。

あらましはこういうことですが私は〈やっぱり〉身近で聞こえてくるもんだな,と思いました。  携帯電話が普及し始まろうとしている時【電磁波障害】の子供たちへの悪影響が懸念されたこともいまや昔ばなしのようになり 宣伝と需要が圧力団体のように持ってない人たちを刺激し続けとうとう現在のスマートフォンの様々な問題に繋がってきているようです。

こどもだから(まあいいだろう)では決してなく,学校や地域の人たちが子供たちを本当に〈守り育てる〉というのであれば職場体験や見学をさせて楽しませることばかりでなく “やっちゃいけないことはいけないんだ,ダメなことはダメなんだ”と厳しく教え込むことが第一になすべきことです。ファミリーレストランや食堂に親子で来ているテーブルが何気なく見えることがあります。たいてい親が子供に目を向けずにスマホの画面ばかり見ている という家族の光景が珍しくなくなりました。こどもは食事が運ばれてくるまでなんとなくそわそわし いざ食事が始まっても親は画面を見続けている。日常のくらしが想像できるしこういう親ってこどもを“遺棄”しているように思えてなりません。毎日の衣食住があっても。

2018.11.21.

 

 

 

 

 

近頃は

近頃は ほんのり涼やかな風に暖かな日差しがここちよく表を掃きながら落ち葉にもしんみりしてしまう毎日です。(11月上旬の話) 先日母の一周忌の法要があり久しぶりに会う おじ おば いとこがさらにありがたく温かい存在に思えてきました。母の存命中は病気や施設での暮らしばかりに気持ちが行っていたので周りが良く見えていなかったのでしょう。遠くに住むいとこも昔から変わらずに「元気でやってっか?」と心配してくれていたのが沁みてくるようになりましたね。私自身[後生大事]ということばの重みが少しはわかったのでしょうかね。

2018.11.14.

中学三年生は本気出してますか 

幼い頃からの学びや生活経験が受験につながってくるわけで なにも中三生だけが受験生というわけではないのですが試験の形態に合わせた鍛練も必要なので徐々に受験特訓を施すことが必要になります。入試の過去問はやりがいがあり自分が今まで学習してきたことを整理整頓するきっかけになりますから役に立ち楽しい面もあります。塾生の皆さん わが子を心配してくださる親御さん これから入塾される生徒さん 肩の力を抜いてふつうに毎日を歩みましょう。中学生のうちはだんだんと成績が伸び高校合格後も実力を維持し好きな部活動に全力を出せる(先のことは何もわからないし不安だけれど立ち止まらずに進むことができる),こういうことが“青春”なんですかねえ。いいなあ。毎年中三生が秋を迎えるころになるとそれぞれの皆さんの高校生活に勝手に思いを馳せてしまいます。

 

今はどこの中学校でもワークブックに解答を添えて生徒に渡していますが昔はノートにさせて先生が回収してマル付けをしていました。解答をもらったために切羽詰まったような状況で❛考えたり調べたり❜が難しくなってきています。塾の皆さんには[楽な なぞるような学習にならないで下さいね]と念を押しています。さらに忘れ物防止のため副教材や用具を学校に置くように指示されている所も少なくありません。どうしても持ち帰りができないのであれば同じものを家庭学習用に買う必要がありますね。[本気を出す]というのは入試問題に取り組むだけではなく〈なれ〉てしまった学校での勉強や生活の形態をほんの少し改善を試みることなのです。

 

ありがたいこと(最近のこと)

買い物をするためスパーマーケットに行きましたが なかなか見つからない駐車場のスペースをやっと見つけて何度も切り返ししてようやく車をおさめられました。その間ずっと視界に入っていたのですが一台のバイクが私の車の近くを行ったり来たりして初めは(先に買い物に来ていた家族を待っているのか探しているのか)と思いました。が,どうもこちらに顔が向いているようなので訝しくなってきました。車を降りるのをためらって少し警戒しているとバイクを降りて男の人がこちらに歩いてきたのです。何か言われたらU字工事風にあやまろう,などと考えていると件のライダーは運転席の窓に顏を近づけたので私もドアを静かに開けて「はい,何かありましたか」とその真面目な風貌の男性に尋ねたのです。すると彼は「後部左が半ドアになっていたのが気になっていたのですがいつ声をかけたらいいのかためらっていました。(駐車場に入る私の車に偶然それを見つけ知らせたくてついてきた,とのこと)」

私はさっそく車の後ろに回ってドアを閉めなおし振り返ってお礼を言おうとしたのですがバイクは走り出していました。後姿に大声で「ありがとうございましたー。」と叫ぶとヘルメットが‘こくり’とうなずきました。買い物の用はないのかそのまま駐車場を出て行かれたのです。お名前も存じ上げない方のご親切 私の警戒心というより狭量さも意識した出来事でしたがほんわかした気分で買い物ができました。ありがとうございます!

 

 

 

2018.10.31.

受験は個人競技なるも

ある男子から「先生 受験は個人競技ですかそれとも団体競技ですか。」と質問されたのですかさず「どっちも」と答えました。もちろん周りのことなどどうでもよく自分の学力(テスト力)をわき目もふらずに確固たるものに仕上げていくことが勉強の本筋だとは思います。が,学問を修め世の中の役に立つ人間になってもらいたい と願う教育の一端を担う者とすれば 塾生の皆さんには塾ででも学校ででも磨きあうことによって伸びていって欲しいと考えます。(単なる受験技術の習得ではなく)

 

positive   spirit  を常に持っていること

helping   each  other           互いに助け合い仲間にも自分にもちゃんと 

respect         敬意をはらうこと  そのことによって

support         学び舎全体の気が生徒ひとりひとりをサポートするこ

とにつながっていく

こういうことが自然に(ふつうに)なってくるように念じいつも授業に入ります。

幸いにも 「こんにちわ おねがいします」 「ありがとうございました

さようなら」と挨拶することを素直に受け入れてくれる生徒さんで助かって

おります。こういうことは学力とは決して無関係ではないことです。今の世の中

心の公害が深刻で〈賢さ〉って何だろうと時折思わせられます。昔読んだ『国家

の品格』という本があります。その中に[惻隠の情]という言葉があったな,とよ

みがえってきました。何気ない生徒の問いかけにはいろいろ考えさせられることが

多いですね。

 

2018.10.17.(水)