もうすぐクリスマスなのにねえ

卒業生のお母さんから最近南光台中学校で “いじめ” が起こっている,いじめ事件をを起こして平気でいる “やから” がいるという話を聞きました(教師に対してはすごくいい生徒で成績優秀で教師の目をすり抜けてやらかしている)。いまや(昔から)日本全国,世界中で珍しくなくなっている人間の意識の底に関わってくる根の深い問題です。被害を受けている子は言い出せないでぐっと胸にしまい込んでしまう。そして心の中で我慢の限界という本人の[閾値]を越えた時に初めて周りの人にやっと訴えることができる。心の叫びはどんどん出していって欲しいのですが,自らの命を絶たなければわかってもらえない 悲しくてつらい 極限の事態だけは避けて欲しいと願うばかりです。「あなたは悪くない,常に自分を肯定することを忘れないで下さい。」と言いたい。教師はよほど自分のセンサーを磨き普通の人間に立ち返ろうとしなければ発見や救助は難しいでしょう(公務員の事務処理の一環としていじめ調査を終えてしまう限りは)。いじめられる本人に責任は全くのゼロパーセントです。一言が言いかえせないないからダメなのだよ,といっていじめを合理化する者は自分の心の中の醜いものをそのひとに投げつけているのですから痴れ者が偉そうに言うな,ということになりますよね。   いじめられる人はそういうつらい目に遭っても相手の存在をできるだけ尊重しようとするから心のエネルギーはたくさんもっているのだけれども気遣いや遠慮があってストレートに力を伝えられないから表面上は押された形になる。攻撃してくる者はそういう心を配ることもないからブレーキが故障した自動車のように突っ走ることができ一見強そうに見える,でも実は劣等感のかたまり。・・・15年ほど前の塾生で八乙女中学校に通っていた生徒が,「クラスに意地悪なやつがいていつも僕に嫌なことをしてくる強くて言い返すこともできない,こっちが弱すぎるのかなあ。」という嘆きにこんな趣旨のことを答えたことがあります。

周りの生徒も見て知らんぷりを決め込まないで欲しいです。関係ないとは絶対に言えません責任は大きいですよ。

つづきはいつか。冬期講習のお申込み・お問い合わせ受け付け中。

2018.12.16.

 

 

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