冬期講習

今年も冬期講習会の時期がやってきました。毎年講習会に限らず平常授業でもそうですが 生徒が「わからない事柄を調べたくてもなかなか説明を見つけられない,難しい問題に取り組んでみたけれど切り口がワカラナイ。」などの真剣に取り組んでみたがゆえの質問にこちらがヒントを与えて その後自分で答えが出せた時の表情のあかるさを見るのはとても楽しいことです。

 

講習期間⁀:冬休み期間の 午前9時から午後8時(12月30日から1月2日までは休講)  ただし早めに申し込まれた方(初回)は冬休みを前に自主勉強としてプレ講習(準備のため)を個別に行います。

中三   受講料の例(完全個人指導) 科目自由

90分×5回 21000円  90分×6回 23800円  90分×7回 27000円

120分×5回 26000円  120分×6回 30000円  120分×7回 33600円

※お友達といっしょに複数で個別指導を受けたい場合は減額いたします。

小学生~中2(初回)   100分×5回 10000円 (科目自由 時間数の調整可)

※受講後 自主勉強で教室に残って勉強していくことは自由です。保護者様におかれましては入塾に関係なく教育相談をいつでも行っております。お気軽においでください。かならずお役に立てることと思います。

学習館大越  ☎022-252-5193  南光台南3-32-3

2018.12.8.

 

やっぱり

近所のおじさんのはなしー

昨日 鶴ヶ谷から燕沢方面にかけて車を運転していたらゆるい坂道にさしかかった辺りで2,30メートル前方から小学校低学年と思しき三人が車道を横並びで歩いて来るのを確認した。それで最徐行をして子供らが歩道に移るのを待った。 ところが連中はそのまま車のほうに真っ直ぐに向かってくるので車を停止させ様子を見た。すると真ん中の女子がスマホを操作して両側の男子女子が画面を見て三人とも下を向いたまま車の前方2メートルまで近づいてきたのっしゃ。男の子がはっと気が付いて二人をうながして歩道に移動したので俺は,「歩きスマホ危ないよ,危ないよ!」と強く言うと男の子だけが「はい」と返事をして後の二人は黙ってこっちを見ていた。後で学校に連絡してやんねばな・・・。

あらましはこういうことですが私は〈やっぱり〉身近で聞こえてくるもんだな,と思いました。  携帯電話が普及し始まろうとしている時【電磁波障害】の子供たちへの悪影響が懸念されたこともいまや昔ばなしのようになり 宣伝と需要が圧力団体のように持ってない人たちを刺激し続けとうとう現在のスマートフォンの様々な問題に繋がってきているようです。

こどもだから(まあいいだろう)では決してなく,学校や地域の人たちが子供たちを本当に〈守り育てる〉というのであれば職場体験や見学をさせて楽しませることばかりでなく “やっちゃいけないことはいけないんだ,ダメなことはダメなんだ”と厳しく教え込むことが第一になすべきことです。ファミリーレストランや食堂に親子で来ているテーブルが何気なく見えることがあります。たいてい親が子供に目を向けずにスマホの画面ばかり見ている という家族の光景が珍しくなくなりました。こどもは食事が運ばれてくるまでなんとなくそわそわし いざ食事が始まっても親は画面を見続けている。日常のくらしが想像できるしこういう親ってこどもを“遺棄”しているように思えてなりません。毎日の衣食住があっても。

2018.11.21.

 

 

 

 

 

近頃は

近頃は ほんのり涼やかな風に暖かな日差しがここちよく表を掃きながら落ち葉にもしんみりしてしまう毎日です。(11月上旬の話) 先日母の一周忌の法要があり久しぶりに会う おじ おば いとこがさらにありがたく温かい存在に思えてきました。母の存命中は病気や施設での暮らしばかりに気持ちが行っていたので周りが良く見えていなかったのでしょう。遠くに住むいとこも昔から変わらずに「元気でやってっか?」と心配してくれていたのが沁みてくるようになりましたね。私自身[後生大事]ということばの重みが少しはわかったのでしょうかね。

2018.11.14.

中学三年生は本気出してますか 

幼い頃からの学びや生活経験が受験につながってくるわけで なにも中三生だけが受験生というわけではないのですが試験の形態に合わせた鍛練も必要なので徐々に受験特訓を施すことが必要になります。入試の過去問はやりがいがあり自分が今まで学習してきたことを整理整頓するきっかけになりますから役に立ち楽しい面もあります。塾生の皆さん わが子を心配してくださる親御さん これから入塾される生徒さん 肩の力を抜いてふつうに毎日を歩みましょう。中学生のうちはだんだんと成績が伸び高校合格後も実力を維持し好きな部活動に全力を出せる(先のことは何もわからないし不安だけれど立ち止まらずに進むことができる),こういうことが“青春”なんですかねえ。いいなあ。毎年中三生が秋を迎えるころになるとそれぞれの皆さんの高校生活に勝手に思いを馳せてしまいます。

 

今はどこの中学校でもワークブックに解答を添えて生徒に渡していますが昔はノートにさせて先生が回収してマル付けをしていました。解答をもらったために切羽詰まったような状況で❛考えたり調べたり❜が難しくなってきています。塾の皆さんには[楽な なぞるような学習にならないで下さいね]と念を押しています。さらに忘れ物防止のため副教材や用具を学校に置くように指示されている所も少なくありません。どうしても持ち帰りができないのであれば同じものを家庭学習用に買う必要がありますね。[本気を出す]というのは入試問題に取り組むだけではなく〈なれ〉てしまった学校での勉強や生活の形態をほんの少し改善を試みることなのです。

 

ありがたいこと(最近のこと)

買い物をするためスパーマーケットに行きましたが なかなか見つからない駐車場のスペースをやっと見つけて何度も切り返ししてようやく車をおさめられました。その間ずっと視界に入っていたのですが一台のバイクが私の車の近くを行ったり来たりして初めは(先に買い物に来ていた家族を待っているのか探しているのか)と思いました。が,どうもこちらに顔が向いているようなので訝しくなってきました。車を降りるのをためらって少し警戒しているとバイクを降りて男の人がこちらに歩いてきたのです。何か言われたらU字工事風にあやまろう,などと考えていると件のライダーは運転席の窓に顏を近づけたので私もドアを静かに開けて「はい,何かありましたか」とその真面目な風貌の男性に尋ねたのです。すると彼は「後部左が半ドアになっていたのが気になっていたのですがいつ声をかけたらいいのかためらっていました。(駐車場に入る私の車に偶然それを見つけ知らせたくてついてきた,とのこと)」

私はさっそく車の後ろに回ってドアを閉めなおし振り返ってお礼を言おうとしたのですがバイクは走り出していました。後姿に大声で「ありがとうございましたー。」と叫ぶとヘルメットが‘こくり’とうなずきました。買い物の用はないのかそのまま駐車場を出て行かれたのです。お名前も存じ上げない方のご親切 私の警戒心というより狭量さも意識した出来事でしたがほんわかした気分で買い物ができました。ありがとうございます!

 

 

 

2018.10.31.

受験は個人競技なるも

ある男子から「先生 受験は個人競技ですかそれとも団体競技ですか。」と質問されたのですかさず「どっちも」と答えました。もちろん周りのことなどどうでもよく自分の学力(テスト力)をわき目もふらずに確固たるものに仕上げていくことが勉強の本筋だとは思います。が,学問を修め世の中の役に立つ人間になってもらいたい と願う教育の一端を担う者とすれば 塾生の皆さんには塾ででも学校ででも磨きあうことによって伸びていって欲しいと考えます。(単なる受験技術の習得ではなく)

 

positive   spirit  を常に持っていること

helping   each  other           互いに助け合い仲間にも自分にもちゃんと 

respect         敬意をはらうこと  そのことによって

support         学び舎全体の気が生徒ひとりひとりをサポートするこ

とにつながっていく

こういうことが自然に(ふつうに)なってくるように念じいつも授業に入ります。

幸いにも 「こんにちわ おねがいします」 「ありがとうございました

さようなら」と挨拶することを素直に受け入れてくれる生徒さんで助かって

おります。こういうことは学力とは決して無関係ではないことです。今の世の中

心の公害が深刻で〈賢さ〉って何だろうと時折思わせられます。昔読んだ『国家

の品格』という本があります。その中に[惻隠の情]という言葉があったな,とよ

みがえってきました。何気ない生徒の問いかけにはいろいろ考えさせられることが

多いですね。

 

2018.10.17.(水)

 

男三人寄れば・・・

岩沼に住む友人(でもあり二人の娘さんを小中高と週末の個人指導に通わせてくださったお父さん)がわたしたちの昔の友達(上山市在住)と会いに行こうと誘ってくれました。はじめは夕方に山形に行き駅前で三人で軽く食事をしてそのまま帰って来ようという予定だったのですが,「せっかくみんなで会うのだから上山の旅館を予約してあげるからゆっくりしていけ。」となり,おかげでその夜は当初の予定よりもじっくり会食できました。自分の記憶に残っている話題でもそれを友の方から話してもらうとなつかしさもひとしおです。

若い頃の私たち三人が山形県に住んでいたころは“ツービート”が全盛の頃で,ある日のこと、奥羽本線赤湯駅で停車中の普通列車の座席で私が居眠りをしていたら車内の女子高生たちのキャーという歓声とともにの車体が急にガクンと揺れたのです。「なんだ! 事故か地震か」と思って様子を見るとなんと反対側のホームに停車中の特急にツービートの二人が乗っていたのです。それを目ざとく発見した彼女たちが車両の片側に殺到したのでした。キャーキャー手を振って二人になんとか気づいてもらったようでやがて特急列車が発車したあとで,「あーあ〔山形のイモねーちゃんたちに声かけられてしまったよ〕なーんてあとで漫才のネタにされるんだろうな。」などと言いながらしばらくはそれだけで和やかな雰囲気なったのどかな時代でしたね。

山形市にはほんとに行きやすくなって(いつか市内をじっくりと)などと思いながら上山へ着くとさっそく旅館の温泉に入りました,ではなく入ろうとしただけでした。旅館のホームページの‘温めのお湯’とは大違いの 足を入れただけでムムムとなる熱さでしたから。そのあと友人のなじみの居酒屋で会食した後で夜の温泉街をそぞろ歩きをしてみたらところどころに❛足湯❜があるのです。歩道のすぐわきにしつらえてあるのですが,(こんな夜にねえ しかも街灯の光もあまり当たらないし)などど思っていると入っている人がいました。県外から来られた男性で「気持ちいいもんですねえ。」と。 さらに別の足湯では部活動の帰りとおぼしき高校生が楽しそうに語らいながらパシャパシャと楽しんでいる 相当暗いのにやはり地域の治安がいいのですね。聞くところによるとボランティアの方々が足湯の場の清掃を良くしてくださっているそうで,こういう安心できる話が気持ちを引き付けてくれてまた行きたくなるのだと思います。

その夜は旅の疲れですぐに寝入ってしまいました。翌日は清々しい朝で 旅館で適温にしてくれた温泉に入り友人と名残を惜しんで仙台への帰路につきました。仙台が近づくにつれ昨夜の三人の昔の話・仕事の話に花が咲いたのはとても有意義だったし気持ちが解放されたのですが,それぞれの奥さんの話をしたこともよみがえってきたのです。

(奥さんたちみなさん強いよな,まじめで強い!petticoat governmentかもね。)などとひとり思いながら きのう上山の友人は「めったに三人で飲むことがないから会の名前をつけよう」と提案してきたので初めは「君は緒形拳にクリソツだから〈緒形の会〉でいいんじゃない。」と一応は答えたのですが今度連絡を取った時には「いっそのこと『恐妻組合』にしてはどうかね。」と話してみるつもりです。

2018.10.11.

なんとなく

今年もノーベル賞の発表・受賞の時期となりました。各部門の優れた功労者に与えられる賞なのはわかるのですがあまりに専門的すぎるものはピンとこない,けれどもそれをきっかけに新聞 TVなどで概略を説明してもらえるのはありがたいです。(小柴さんのニュートリノの話は面白かったなあ。)賞獲得までの本人の苦労や思いとそれを支えるスタッフと家族の支えの話は必ず聞くところですが,私の友人はことあるごとに,「国費をふんだんに使っての研究なら誰でもできる。」と業績や人類にどれほど貢献したか よりも中心となる人にのみ注目されることを気にしていました。そういうときは私も中学時代に先生から「湯川博士のノーベル賞受賞に関しては 講師だったか助手だったかの人の業績が大きかったんだよ・・・」と ひとりだけにスポットライトがあたるのを嫌うような話でしたね。(ふーんそういうものかねえ。)でもなされたことはやはり素晴らしいことですよね。「一将功成りて万骨枯る」は多少おおげさかな。

こういう大きく報道されることだけではなくて“注目される”ということで言えば現代人ほど(若者たち)注目されたがっている人たちはいないのではないか,と思えます。【表層化の時代】と言われて久しく自分の中身を磨くよりもまず〔人の目〕。(私自身のことを棚に上げなければこんなことは言えません。)自分の存在はとても大切なものなのだという自己重要感とも言える気持ちは誰でも持っているのですがそれを実感できる場面をだれかが保証してくれるわけではない。機械を媒介にした人とのつながりは煩わしさが少ないと同時にいつも不安が払えないかもしれません。  学習館大越ではトップの人やこれからのし上がっていく人さまざまですが,どの生徒さんも節度を持って互いを尊重してふつうに楽しく勉強しています。そして授業が終了して家路につくその後姿を私どもが見送るとき,「ああ,みんな温かい家庭に帰っていくんだなあ」とほっとすることしばしばです。 衣食住がみたされていても注目される気持ちよさよりも人にはさらに(ぬくもり)が大切なんだとあらためて思います。

次回へ

2018 10 06

こういう季節になると

どなたにもあることだと思うのですが,虫の声に聞き入り静かな時をすごような季節

になると昔お世話になった人を思い出しお会いしたい気持ちなることがよくあります

みなさんもおありだと思います。

私が小学生のとき ある日母が「今日ね おにいちゃんが来るよ。」と突然言い出し

たのです。私は初めは何のことかわからなかったのですが 父が会津若松で警察職員

をしていたころの同僚の息子さんが東北大学に入学するので身元保証人になって頂い

たお礼のあいさつのために来られるようだったのです。実際に会ってみると年が離れ

ていることと私の人見知りの性格から黙って観察するだけだったと思います。下宿は

我が家から歩いて十分ほどだったものの遊ぶような学生さんではなかったのでごくた

まにお茶を飲みに来てくれる程度の交流でした。

その〈たまに〉が続くうちに少しづつ私は ‘おにいちゃん’ になじんでいったので

す。

 

 

いま書きながらさまざまよみがえってきます,

ハイキング(松島での蕨取り)に連れて行ってもらったこと,  デパートのレストラン

でごちそうしてくれたこと,下宿を訪ねて行っても本棚は専門書ばかりでマンガがな

くてつまらなかったこと, ある日私に週刊誌を開いて見せてくれたのが もうすぐ

ウルトラマンが終わって新たなヒーローの〈ウルトラセブン〉が始まるという記事

等々  真面目な人でしたがお堅い人ではなく私の前で‘シェー’をやって見せたり映

画,歌謡曲も好きな方でした。

お話も勉強そのもののことではなくいろいろな分野を小学生にもわかるようにやさし

く解説してくれました。

 

私が中学生になるとおにいちゃんも研究が忙しくなってお会いできる機会も少なく

なってますます遊びに来てもらうのが待ち遠しくなりました。当時私の中学校はクラ

スの二割くらいの生徒が英語塾に通っていたと思います。私は塾や家庭教師の指導を

受けたことがないので周りで塾の宿題のことを話しているのを聞くととても楽しそう

に聞こえるので心の中で「塾っていいな よさそうだな」とうらやましい気持ちを

ずっと持ち続けたものです。ですから そのせいか超たまに来てくれる “おにい

ちゃん”に勉強も含めた疑問をいろいろ出したことがありました。

当時はやっていたTVドラマの『タイムトンネル』。そこに出てくる科学者が過去と

未来をさまよってなかなか現在に戻ってくるのが難しいという設定だったので私は何

の気なしに「ねえタイムトンネルってできるの?」と訊いたことがあります。

中一の私の唐突な質問に「んー」と考え込みながら最先端の科学理論を出してその

テーマに近づく話をしてくれたのです。

「今の科学技術では難しい」から始まって,どんなに科学が進歩してもものの位置と動きを同時には正確にはとらえられないことがあるという【不確定性原理】や時間の進み方や重さ長さは観察する人の動きで変わってくる゠【相対性理論】と【原子核物理学】などをことあるごとに話してくれました。中学生には日常の生活からはかけ離れたことなので (ふーん) と訳の分からないことながら〔感覚的〕にこの宇宙には不思議なことがあるのだなあと感銘を受けたことだけは覚えています。今はすぐに調べたりテレビ番組の特集で知ることができますが,この時代はそんな便利さはなかったので ‘おにいちゃん’ が深い世界の一端を垣間見せてくださったと今でも感謝しています。その後博士課程を終えられ関西方面に就職された後で両親から「おにいちゃんはね工学部首席で出たんだよ。」と教えられその重みに感動。

つねに 「勉強だけできてもだめだ人間のバランスが大切なんだ」 と言っていた

のが思い返されます。会いたいなあ。

 

2018.09.27.

“神授業”

矢野健太郎(数学者)さんのエッセイまじりの数学の本を

三十年ほど前に読んだことをふと思い出しました。

数学のことよりもお話の部分です。

アメリカのある大学での二人の教授のちょっとしたお話━

その大学のバリバリの若手教授とかなりお年を召された老教授の

両方の講義を受けている学生たちの様子のことだったと思います。

話は単純なことで,若い先生の講義は歯切れもよくわかりやすく丁寧に

教えてくれる。学生たちは講義時間の中で十分理解ができその先生に

高評価を出している。

一方、かの老教授の講義といえば聞き耳を立てなければよく聞こえないほど

声が小さくボソボソでそれこそサンドの「何言ってんのかさっぱりわからない」状態だったのでしょう。学生たちの評判はあまりよくないのは推察されます。

ところが です,

テストをすれば老教授の科目はほとんどの学生が高得点だったのに対し

若い先生の科目のテストはあまり振るわない結果となるケースが

ほとんどだったそうです。問題の難しさにそれほどの差はないのに・・。

その理由は 老先生の講義が終わるや否や学生たちは一斉に

図書館に駆けていくのだそうです。

なにしろわからないことだらけですから

先生の専門書を読んでまとめて講義中の?を一生懸命解消するため

必死だったのでしょう。

かたや若い先生の科目の勉強は講義の分かりやすさに安心して

食らいつくほどの勉強はしなかったようですね。〈名講義とは〉という話になりましょうか。

 

「本当に身に付ける」という点では,

中学生の勉強にも似たようなことがあります。

特に理科については以前は中学校ごとに第一分野(物理・化学)と

第二分野(生物・地学)の進み方がまちまちで多少困ることがありました。

そこで未習の生徒には考え方や基本の計算法などを教えて

あとは自分で解くように促しましたところ、

授業内テストではすでに学習している生徒と比べても遜色のない結果を

出すことがあります。「そこ学校で習いました。」という生徒さんは

教師がわかりやすく説明してくれてそれをノートに写し取ったことで

〈学習した〉となりがちです。しかし,これから習う生徒は

「とりあえず今勉強してみて」と言われたらそれこそ必死で調べて

考えなければテストに対応できませんから当然がんばりますものね。

(あとで学校の授業があるとしても)

 

さきほどの大学の先生ではありませんが

〔自律する学習〕に目覚めてもらうのはうれしいものですね。

私は塾生たちの前で説明をよく噛んでしまうことがあるので

それで皆さんは良く調べてやってくるのかな

「だから俺の授業は“カミ授業”なのだ。」などと言ったら

一気に教室の空気が ‘どよ~ん’となってしまうので控えます。

 

 

 

 

2018.09.18.

 

南光台東中学校 東雲(しののめ)祭

思えば,今までこんなに〈文化祭 発表会〉などのイベントを短期間に複数回見に行ったことなどなかったと思える程の今年の夏でした。

南光台東中学校の吹奏楽の生徒さんが小学校五年生の時から中学三年生の現在まで熱心に通っています。楽器に限らず何事にも熱心に取り組むたちで【自分の勉強・ 学校の仕事・ 部活動】 を同時にこなしている毎日の生活ですから 私が「自主勉に来て質問をいっぱい出してね」などとせかしても (なかなか忙しくて)という本人の事情は本日の発表(演奏)を見て聴いたら十分納得できました。〈精いっぱい演奏して精いっぱいお客さんたちを楽しませよう〉というエネルギーがプログラム全体から伝わってきましたので毎日の練習もスケジュールも相当ハードなものだったのだろうと改めて感じ入った次第です。大人も子供も気持ちよく味わえるような演奏でした。来てよかった,授業の時にお礼を言おう。

 

ステージ発表以外でも 〔展示〕 はレベルが高かったですね。

習字『希望の光』

修学旅行レポート

単色で描いた自分のイメージの絵 ・・・。

さらに1学年の平清水焼の作品は見事なものばかりでした。

「売れるんじゃないの」と思わず言葉を発してしまったほど良くでき上っていましたね。

ツヤ 形 手に取りたくなるような質感。

それらを愛でながらよみがえってくることあり・・・

 

自分が二十歳のころ(今から25年前〔←ウソつくな!〕)平清水で抹茶茶碗を焼いて重厚な作で気に入った!と自分に言い聞かせ使わずにしまい込んでかなりの月日が流れました。ある日、家内がそれを見つけて

「何この茶こぼし 重いし 変な形・・使えるの?」

「んーそれは抹茶の茶碗だって!見たらわかっぺよ!」・・・必死に抵抗するも恥ずかしさが増すばかり(要するに才能ないのね)。ミジメー。

休憩ホールでお茶を頂いて 午後からは定期テスト対策講座があるので名残惜しかったのですが東中を後にしました。

生徒 先生たち さらに保護者の方々が一丸となって作り上げる文化祭は後味がよいものですね。

 

 

2018.09.12.