中学三年生は本気出してますか 

幼い頃からの学びや生活経験が受験につながってくるわけで なにも中三生だけが受験生というわけではないのですが試験の形態に合わせた鍛練も必要なので徐々に受験特訓を施すことが必要になります。入試の過去問はやりがいがあり自分が今まで学習してきたことを整理整頓するきっかけになりますから役に立ち楽しい面もあります。塾生の皆さん わが子を心配してくださる親御さん これから入塾される生徒さん 肩の力を抜いてふつうに毎日を歩みましょう。中学生のうちはだんだんと成績が伸び高校合格後も実力を維持し好きな部活動に全力を出せる(先のことは何もわからないし不安だけれど立ち止まらずに進むことができる),こういうことが“青春”なんですかねえ。いいなあ。毎年中三生が秋を迎えるころになるとそれぞれの皆さんの高校生活に勝手に思いを馳せてしまいます。

 

今はどこの中学校でもワークブックに解答を添えて生徒に渡していますが昔はノートにさせて先生が回収してマル付けをしていました。解答をもらったために切羽詰まったような状況で❛考えたり調べたり❜が難しくなってきています。塾の皆さんには[楽な なぞるような学習にならないで下さいね]と念を押しています。さらに忘れ物防止のため副教材や用具を学校に置くように指示されている所も少なくありません。どうしても持ち帰りができないのであれば同じものを家庭学習用に買う必要がありますね。[本気を出す]というのは入試問題に取り組むだけではなく〈なれ〉てしまった学校での勉強や生活の形態をほんの少し改善を試みることなのです。

 

ありがたいこと(最近のこと)

買い物をするためスパーマーケットに行きましたが なかなか見つからない駐車場のスペースをやっと見つけて何度も切り返ししてようやく車をおさめられました。その間ずっと視界に入っていたのですが一台のバイクが私の車の近くを行ったり来たりして初めは(先に買い物に来ていた家族を待っているのか探しているのか)と思いました。が,どうもこちらに顔が向いているようなので訝しくなってきました。車を降りるのをためらって少し警戒しているとバイクを降りて男の人がこちらに歩いてきたのです。何か言われたらU字工事風にあやまろう,などと考えていると件のライダーは運転席の窓に顏を近づけたので私もドアを静かに開けて「はい,何かありましたか」とその真面目な風貌の男性に尋ねたのです。すると彼は「後部左が半ドアになっていたのが気になっていたのですがいつ声をかけたらいいのかためらっていました。(駐車場に入る私の車に偶然それを見つけ知らせたくてついてきた,とのこと)」

私はさっそく車の後ろに回ってドアを閉めなおし振り返ってお礼を言おうとしたのですがバイクは走り出していました。後姿に大声で「ありがとうございましたー。」と叫ぶとヘルメットが‘こくり’とうなずきました。買い物の用はないのかそのまま駐車場を出て行かれたのです。お名前も存じ上げない方のご親切 私の警戒心というより狭量さも意識した出来事でしたがほんわかした気分で買い物ができました。ありがとうございます!

 

 

 

2018.10.31.

受験は個人競技なるも

ある男子から「先生 受験は個人競技ですかそれとも団体競技ですか。」と質問されたのですかさず「どっちも」と答えました。もちろん周りのことなどどうでもよく自分の学力(テスト力)をわき目もふらずに確固たるものに仕上げていくことが勉強の本筋だとは思います。が,学問を修め世の中の役に立つ人間になってもらいたい と願う教育の一端を担う者とすれば 塾生の皆さんには塾ででも学校ででも磨きあうことによって伸びていって欲しいと考えます。(単なる受験技術の習得ではなく)

 

positive   spirit  を常に持っていること

helping   each  other           互いに助け合い仲間にも自分にもちゃんと 

respect         敬意をはらうこと  そのことによって

support         学び舎全体の気が生徒ひとりひとりをサポートするこ

とにつながっていく

こういうことが自然に(ふつうに)なってくるように念じいつも授業に入ります。

幸いにも 「こんにちわ おねがいします」 「ありがとうございました

さようなら」と挨拶することを素直に受け入れてくれる生徒さんで助かって

おります。こういうことは学力とは決して無関係ではないことです。今の世の中

心の公害が深刻で〈賢さ〉って何だろうと時折思わせられます。昔読んだ『国家

の品格』という本があります。その中に[惻隠の情]という言葉があったな,とよ

みがえってきました。何気ない生徒の問いかけにはいろいろ考えさせられることが

多いですね。

 

2018.10.17.(水)

 

男三人寄れば・・・

岩沼に住む友人(でもあり二人の娘さんを小中高と週末の個人指導に通わせてくださったお父さん)がわたしたちの昔の友達(上山市在住)と会いに行こうと誘ってくれました。はじめは夕方に山形に行き駅前で三人で軽く食事をしてそのまま帰って来ようという予定だったのですが,「せっかくみんなで会うのだから上山の旅館を予約してあげるからゆっくりしていけ。」となり,おかげでその夜は当初の予定よりもじっくり会食できました。自分の記憶に残っている話題でもそれを友の方から話してもらうとなつかしさもひとしおです。

若い頃の私たち三人が山形県に住んでいたころは“ツービート”が全盛の頃で,ある日のこと、奥羽本線赤湯駅で停車中の普通列車の座席で私が居眠りをしていたら車内の女子高生たちのキャーという歓声とともにの車体が急にガクンと揺れたのです。「なんだ! 事故か地震か」と思って様子を見るとなんと反対側のホームに停車中の特急にツービートの二人が乗っていたのです。それを目ざとく発見した彼女たちが車両の片側に殺到したのでした。キャーキャー手を振って二人になんとか気づいてもらったようでやがて特急列車が発車したあとで,「あーあ〔山形のイモねーちゃんたちに声かけられてしまったよ〕なーんてあとで漫才のネタにされるんだろうな。」などと言いながらしばらくはそれだけで和やかな雰囲気なったのどかな時代でしたね。

山形市にはほんとに行きやすくなって(いつか市内をじっくりと)などと思いながら上山へ着くとさっそく旅館の温泉に入りました,ではなく入ろうとしただけでした。旅館のホームページの‘温めのお湯’とは大違いの 足を入れただけでムムムとなる熱さでしたから。そのあと友人のなじみの居酒屋で会食した後で夜の温泉街をそぞろ歩きをしてみたらところどころに❛足湯❜があるのです。歩道のすぐわきにしつらえてあるのですが,(こんな夜にねえ しかも街灯の光もあまり当たらないし)などど思っていると入っている人がいました。県外から来られた男性で「気持ちいいもんですねえ。」と。 さらに別の足湯では部活動の帰りとおぼしき高校生が楽しそうに語らいながらパシャパシャと楽しんでいる 相当暗いのにやはり地域の治安がいいのですね。聞くところによるとボランティアの方々が足湯の場の清掃を良くしてくださっているそうで,こういう安心できる話が気持ちを引き付けてくれてまた行きたくなるのだと思います。

その夜は旅の疲れですぐに寝入ってしまいました。翌日は清々しい朝で 旅館で適温にしてくれた温泉に入り友人と名残を惜しんで仙台への帰路につきました。仙台が近づくにつれ昨夜の三人の昔の話・仕事の話に花が咲いたのはとても有意義だったし気持ちが解放されたのですが,それぞれの奥さんの話をしたこともよみがえってきたのです。

(奥さんたちみなさん強いよな,まじめで強い!petticoat governmentかもね。)などとひとり思いながら きのう上山の友人は「めったに三人で飲むことがないから会の名前をつけよう」と提案してきたので初めは「君は緒形拳にクリソツだから〈緒形の会〉でいいんじゃない。」と一応は答えたのですが今度連絡を取った時には「いっそのこと『恐妻組合』にしてはどうかね。」と話してみるつもりです。

2018.10.11.

なんとなく

今年もノーベル賞の発表・受賞の時期となりました。各部門の優れた功労者に与えられる賞なのはわかるのですがあまりに専門的すぎるものはピンとこない,けれどもそれをきっかけに新聞 TVなどで概略を説明してもらえるのはありがたいです。(小柴さんのニュートリノの話は面白かったなあ。)賞獲得までの本人の苦労や思いとそれを支えるスタッフと家族の支えの話は必ず聞くところですが,私の友人はことあるごとに,「国費をふんだんに使っての研究なら誰でもできる。」と業績や人類にどれほど貢献したか よりも中心となる人にのみ注目されることを気にしていました。そういうときは私も中学時代に先生から「湯川博士のノーベル賞受賞に関しては 講師だったか助手だったかの人の業績が大きかったんだよ・・・」と ひとりだけにスポットライトがあたるのを嫌うような話でしたね。(ふーんそういうものかねえ。)でもなされたことはやはり素晴らしいことですよね。「一将功成りて万骨枯る」は多少おおげさかな。

こういう大きく報道されることだけではなくて“注目される”ということで言えば現代人ほど(若者たち)注目されたがっている人たちはいないのではないか,と思えます。【表層化の時代】と言われて久しく自分の中身を磨くよりもまず〔人の目〕。(私自身のことを棚に上げなければこんなことは言えません。)自分の存在はとても大切なものなのだという自己重要感とも言える気持ちは誰でも持っているのですがそれを実感できる場面をだれかが保証してくれるわけではない。機械を媒介にした人とのつながりは煩わしさが少ないと同時にいつも不安が払えないかもしれません。  学習館大越ではトップの人やこれからのし上がっていく人さまざまですが,どの生徒さんも節度を持って互いを尊重してふつうに楽しく勉強しています。そして授業が終了して家路につくその後姿を私どもが見送るとき,「ああ,みんな温かい家庭に帰っていくんだなあ」とほっとすることしばしばです。 衣食住がみたされていても注目される気持ちよさよりも人にはさらに(ぬくもり)が大切なんだとあらためて思います。

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2018 10 06