なんとなく

今年もノーベル賞の発表・受賞の時期となりました。各部門の優れた功労者に与えられる賞なのはわかるのですがあまりに専門的すぎるものはピンとこない,けれどもそれをきっかけに新聞 TVなどで概略を説明してもらえるのはありがたいです。(小柴さんのニュートリノの話は面白かったなあ。)賞獲得までの本人の苦労や思いとそれを支えるスタッフと家族の支えの話は必ず聞くところですが,私の友人はことあるごとに,「国費をふんだんに使っての研究なら誰でもできる。」と業績や人類にどれほど貢献したか よりも中心となる人にのみ注目されることを気にしていました。そういうときは私も中学時代に先生から「湯川博士のノーベル賞受賞に関しては 講師だったか助手だったかの人の業績が大きかったんだよ・・・」と ひとりだけにスポットライトがあたるのを嫌うような話でしたね。(ふーんそういうものかねえ。)でもなされたことはやはり素晴らしいことですよね。「一将功成りて万骨枯る」は多少おおげさかな。

こういう大きく報道されることだけではなくて“注目される”ということで言えば現代人ほど(若者たち)注目されたがっている人たちはいないのではないか,と思えます。【表層化の時代】と言われて久しく自分の中身を磨くよりもまず〔人の目〕。(私自身のことを棚に上げなければこんなことは言えません。)自分の存在はとても大切なものなのだという自己重要感とも言える気持ちは誰でも持っているのですがそれを実感できる場面をだれかが保証してくれるわけではない。機械を媒介にした人とのつながりは煩わしさが少ないと同時にいつも不安が払えないかもしれません。  学習館大越ではトップの人やこれからのし上がっていく人さまざまですが,どの生徒さんも節度を持って互いを尊重してふつうに楽しく勉強しています。そして授業が終了して家路につくその後姿を私どもが見送るとき,「ああ,みんな温かい家庭に帰っていくんだなあ」とほっとすることしばしばです。 衣食住がみたされていても注目される気持ちよさよりも人にはさらに(ぬくもり)が大切なんだとあらためて思います。

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2018 10 06

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