“神授業”

矢野健太郎(数学者)さんのエッセイまじりの数学の本を

三十年ほど前に読んだことをふと思い出しました。

数学のことよりもお話の部分です。

アメリカのある大学での二人の教授のちょっとしたお話━

その大学のバリバリの若手教授とかなりお年を召された老教授の

両方の講義を受けている学生たちの様子のことだったと思います。

話は単純なことで,若い先生の講義は歯切れもよくわかりやすく丁寧に

教えてくれる。学生たちは講義時間の中で十分理解ができその先生に

高評価を出している。

一方、かの老教授の講義といえば聞き耳を立てなければよく聞こえないほど

声が小さくボソボソでそれこそサンドの「何言ってんのかさっぱりわからない」状態だったのでしょう。学生たちの評判はあまりよくないのは推察されます。

ところが です,

テストをすれば老教授の科目はほとんどの学生が高得点だったのに対し

若い先生の科目のテストはあまり振るわない結果となるケースが

ほとんどだったそうです。問題の難しさにそれほどの差はないのに・・。

その理由は 老先生の講義が終わるや否や学生たちは一斉に

図書館に駆けていくのだそうです。

なにしろわからないことだらけですから

先生の専門書を読んでまとめて講義中の?を一生懸命解消するため

必死だったのでしょう。

かたや若い先生の科目の勉強は講義の分かりやすさに安心して

食らいつくほどの勉強はしなかったようですね。〈名講義とは〉という話になりましょうか。

 

「本当に身に付ける」という点では,

中学生の勉強にも似たようなことがあります。

特に理科については以前は中学校ごとに第一分野(物理・化学)と

第二分野(生物・地学)の進み方がまちまちで多少困ることがありました。

そこで未習の生徒には考え方や基本の計算法などを教えて

あとは自分で解くように促しましたところ、

授業内テストではすでに学習している生徒と比べても遜色のない結果を

出すことがあります。「そこ学校で習いました。」という生徒さんは

教師がわかりやすく説明してくれてそれをノートに写し取ったことで

〈学習した〉となりがちです。しかし,これから習う生徒は

「とりあえず今勉強してみて」と言われたらそれこそ必死で調べて

考えなければテストに対応できませんから当然がんばりますものね。

(あとで学校の授業があるとしても)

 

さきほどの大学の先生ではありませんが

〔自律する学習〕に目覚めてもらうのはうれしいものですね。

私は塾生たちの前で説明をよく噛んでしまうことがあるので

それで皆さんは良く調べてやってくるのかな

「だから俺の授業は“カミ授業”なのだ。」などと言ったら

一気に教室の空気が ‘どよ~ん’となってしまうので控えます。

 

 

 

 

2018.09.18.

 

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